平山瑞穂という作家は”ラス・マンチャス通信”で知っていたが,その”ラス・マンチャス通信”は珍しく途中で挫折していた.
そんな平山瑞穂というイメージと全く会わない装丁とタイトルに惹かれて衝動買い.
そして読んでみて驚いた.なんだこのセカチューは!
まさか平山瑞穂でセカチューとは!
だが読み終えてみるとまた不思議な感覚に陥っている.
セカチューを見せられていたはずなのに,それは本当は何か全く異なった本質を持っていて,それをセカチューというベールに包んでいたのではないか,そんな気持ちになる.
だが,結局著者はそのベールを最後まではがしはしない.だから,何かあったのかあるいは何かあるという自分の思い込みなのか,それは分からないまま物語は終わってしまう.
ただひとつ揺るがない事実は,セカチューと思っていたその物語に自分が強く心動かさていたということだ.
この手の物語の受け止め方は読み手の経験・体験やそのときの心理状態に左右される気がする.
この本を読んだときの自分を思うと,僕は”たまたま”感情移入していただけかもしれない.
まあいずれにしても僕はきっと再び平山瑞穂の著作を手に取るだろう.

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